[Day 7] 督郵の鞭
一月 · 星が集まる | 約三分の読み

赴任の四月(しがつ)が過ぎゆきつつあった。夏の終わり、安喜県(あんきけん)の官(つかさ)の前に、大いなる車が到達したり。車の内側に、朝廷より下り来たれる督郵(とくゆう)が座しおったのである。督郵の袖の内側より、軽やかなる金属の音がしたり。金一封(きんいっぷう)の大きさにてあった。その音を聞きたる人は、意(こころ)を即(すぐ)に悟りたのである。
劉備(りゅうび)が丁重(ていちょう)に官の門の前にて迎えたり。督郵が席に座すや否や、ひと言を取り出したり。
「劉県尉(りゅうけんい)。貴公の名が朝廷に上りたるは知りおる。ただ——辺境の小さき郡の県尉の席が、そのままに保たるる為(ため)には、いささかなる礼(れい)が必要なり。今秋、朝廷の評価に貴公の名がいま一たび上らんとせば、今日の午後の席にて、礼の結を見せ給え。」
劉備がゆるりと答えたり。「督郵公(とくゆうこう)。赴任以後、安喜の民のいかなる小さき物にも触れざりき。米一俵、塩一升も、私(わたくし)には受けざりき。今秋の評価の為に、今日の午後に礼を整えなば、それは赴任四月(しがつ)全部の結を覆(おお)う結と成ろう。」
督郵の顔(かんばせ)が紅く成りたり。されど、笑みを失わざりき。
「劉県尉。礼が今日の午後に整わざれば、この督郵が安喜の民の幾人かを呼びて、幾つかの調査を進めねばならぬ。その調査の結が、いずれかの席のひと言にて尾を引くこととなるかは、今日の午後の礼の整いに、掛かりおる。」
劉備が頭を深く垂れた。ひと言を取り出さざるままに、官の門のほうを望み見たり。門の外に、関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)が立ちおった。張飛が督郵の言を聞きて、ひと足を大きく前へと踏み出(い)でたり。彼の荒き声の内側の火が、再び燃え立ちつつあった。関羽が張飛の腕に手を置きたり。されど、その手の力が、今日は張飛の腕を支え得ざりき。
張飛が、官の後ろのほうに掛かりおりたる鞭一筋を下したり。督郵を官の柱に縛りつけたり。鞭が督郵の背の上に降りたり。十度の鞭であった。督郵が悲鳴を上げたれども、安喜の民、ただの一人も、官のほうへ駆け来たらざりき。

劉備が遅れて駆け来たりて、張飛の腕を取り抑えたり。「弟よ。十分なり。これより以上は——我らがこの朝廷の法を、ひと息に逸(そ)るることと成る。」
張飛の両眼の内側が紅かりしも、劉備のひと言の前に、鞭を下したり。関羽がしずかに督郵の縄を解きたり。督郵がよろめきつつ、己が車へと戻り行きたり。
その夕、劉備が己が官印(かんいん)を、官の柱に掛けて置きたり。赴任四月の席の印鑑(いんかん)であった。掛印(かけいん、印鑑を掛けたる席)の二字が、官の柱の上に、しずかに遺されおったのである。劉備のひと言が、その柱の前にて出でたり。
「このひと行の名は、朝廷が下し給いたるひと行にてありき。今日の午後、朝廷の法と、この安喜の民の法とが、二岐(ふたまた)に分かれたる席が、ありおったのである。この県尉の手が、朝廷の岐(みち)に従い得たれども、この弟の手が、先(ま)ず安喜の岐に従いたり。今日の午後より、この官印を柱に掛け置きて、去り行く。ひと歩みの前のほうには、朝廷の法ありて、ひと歩みの後ろのほうには、安喜の民あり。ひと歩みずつ、後ろのほうを、より永く望み見守りつつ、去り行く。」
三人が安喜の城門を越えたり。城門の内側に、安喜の民が集(つど)いて、三人の後ろ姿を望み見おったのである。童(わらべ)らが再び劉備の背の後ろを追いて歩みたれども、城門の外側へは、ひと度も出でざりき。老人らが、頭を垂れて戻り行かず、城門の内側に立ちて、三人の後ろ姿が地平線(ちへいせん)の向こうへと消ゆるまで、しずかに望み見守りたり。
劉備の手が、己が胸の側の懐の内側を、軽く押したり。その内側に、Day 5 の大興山の夕の紅き糸が、畳み込まれおった。名の上らざる功の種子(たねつぶ)が、今日の午後、柱に掛かりたる官印の席と、二席にて並びて置かれおったのである。二席の真ん中に、安喜の民の顔が、しずかにひと枚の紙のごとくに、畳み込まれつつあった。
Book 1 の七度目の夕が、安喜県の城門の外の野道(のみち)の上にて、しずかに深まりゆきつつあった。掛印 の二字が、官印を柱に掛けたる劉備の姿勢の結として、種子が植えつけられつつあったのである。Day 6 にて名が初めてひと行記されて下り来たれる席が、今日の午後、そのひと行を柱に掛け置く席へと渡り来たりおったのである。
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“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
名が初めてひと行記されて下り来たれる席の向こう岸に、そのひと行を柱に掛け置きて去り行く席があり申す。朝廷の法と民の法とが、二岐に分かれたる席にて、ひと歩みの後ろのほうを、より永く望み見守るひと結の姿勢にござる。今日の午後、貴方の席にも、ひと行の名を柱に掛け置きて去り行かねばならぬ岐(みち)が、もしやおありにならぬか。その掛け置きの結を、ひと結いっそうしずかに覗き見られてはいかがであろう。
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