[Day 8] 三人が同時に席を空ける
一月 · 星が集まる | 約三分の読み

掛印(けいいん)の夕の後、三人が北の野道に沿いて、しずかに歩み上り行きつつあった。馬と歩みとが混じりおり、二十余名の側近がその後ろに従いたり。朝廷の追捕令(ついほれい)の下らん可能性に備(そな)えて、劉備(りゅうび)が一行を、灰色の長きマントの内側に、畳み入れて隠さしめおったのである。
ひと日の間に、報(しら)せが歩みより速く北のほうへと渡り行きたり。「安喜の県尉の席と、主簿(しゅぼ)と県丞(けんじょう)の二席とが、ひと度に空けり。」朝廷の書類の上の三つの空席が、ひと結のいっそう大いなる空間として、合(あ)わさりおったのである。県の公の印鑑が柱に掛かりたるとの言が、北の軍事の陣営にまで渡り行きたり。
北平(ほくへい)辺境の陣営の一人が、その風聞を聞きたり。名は公孫瓚(こうそんさん)、字(あざな)は伯珪(はくけい)。幽州(ゆうしゅう)の太守。盧植(ろしょく)門下の旧き同門にてあった。公孫瓚が短くひと言を取り出したり。「あの人がこちらへと歩み来たろう。北の路の最後の岐(みち)がこちらにあり。陣営の門を、開け置け。」
果たして、二日後の暁(あかつき)、北平陣営の門の前に、三人が到達したり。公孫瓚が親(みずか)ら門を開きて、劉備の手を取りたり。盧植門下の旧き同門の二つの手が、出会う席であった。机を並べて用いおりたる二人の若者の十年余の歳月(さいげつ)が、その二つの手の間に流れおったのである。
「玄徳(げんとく)。県尉の席が、貴公にあまりに小さかりき。この公孫瓚の陣営の後ろに、より良き席が待ちおる。平原県(へいげんけん)の県令(けんれい)なり。県尉より一段上の席。明けたる朝より、貴公の名の傍らに、このひと行が更に記されて下り行き得ん。」
劉備が頭を深く垂れたり。ひと言を即(すぐ)には取り出さず、しずかに公孫瓚の顔を、永く望み見たり。
「伯珪兄上(はくけいあにうえ)。この歩みの後ろに、安喜の民の顔が、しずかに畳まれおり申す。その顔をいっそうに守らんが為(ため)に、平原の席を承(う)け申さん。ただ——この承りの結が、朝廷の岐にあらず、民の席の上に置かれんことを願い申す。」

公孫瓚が首肯したり。陣営の真ん中に、火炉(かろ)の火が燃えおったのである。火の結が、三人の肩の上に降り立ちたり。劉備が関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)の肩を、軽く叩きたり。三つの席の空席が、今暁(こんぎょう)、ひと席の満(み)ちたる席へと、変じつつあった。
その席の真ん中の火炉の前に、見知りたる顔が入り来たった。背丈(せたけ)が高く、肩が真直(ますぐ)なる若き男であった。両眼が清き淵(ふち)のごとく深かりて、槍(やり)を腰の傍らにしずかに掛けたる姿勢であった。彼の名が渡り来たった。趙雲(ちょううん)、字(あざな)は子龍(しりょう)。常山(じょうざん)真定(しんてい)の人にして、公孫瓚の陣営に留まりおる将であった。
三人の顔を望み見たる趙雲の両眼の内側が、しずかに潤(うる)みたり。ひと度も出会いたる経験なき二人の兄弟の席の後ろに立ちおる、また別なる顔を、永く望み見たる趙雲の両眼が、永く記憶し置かるべき顔の結を、読みおりたのである。その読みは、今暁、ひと言も取り出さざりき。ただ、趙雲の槍先(やりさき)が、劉備のほうへと、自然に傾きおったのである。槍の傾きが、ひと言よりも先に、約束の結として、待ちを開き置きおったのである。
劉備が趙雲のほうへと首をめぐらしたり。物言わずに眼を合わせたり。今暁、火炉の前にて、四つ目の顔の種子(たねつぶ)が、しずかに植えつけられつつあった。桃園盟(とうえんめい、Day 4)の三人の結の後ろに、四つ目の席が、しずかに準備されおったのである。ただ、今暁にては、その席の名を、取り出さざりき。明けたる日以後の席にて、その名が再び渡り来たることと成る。
Book 1 の八度目の暁が、北平陣営の火炉の前にて、しずかに開かれたり。三席同空(さんせきどうくう、三つの席がひと度に共に空きたる席)の四字が、今日の平原県の県令のひと行へと、連なりつつあったのである。掛印の柱の席(Day 7)が、新たなる火炉の前のほうへと、渡り来たりおったのである。見知りたる顔の種子が、明日の席のほうへと、ひと結いっそう近く近づき来たりつつあった。
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“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
一人の席が空きたる席は寂しけれども、三人の席がひと度に空きたる席は、寂しさがひと結に集(つど)いて、ひと響(ひびき)と為る席にござる。その響の後ろに、火炉の前の旧き同門の手が、待ちおる席があるものなり。今暁、貴方の歩みの後ろにも、その三席の真ん中を覚えていて呉(く)るる旧き顔が、もしやおありにならぬか。その顔の火炉の結を、しずかに覗き見られてはいかがであろう。
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