[Day 16] 七つの星の短刀
一月 · 星が集まる | 約三分の読み

董卓(とうたく)が呂布(りょふ)を養子と為したる数日の後、洛陽の司徒(しと)王允(おういん)の家に、小さき集(つど)いが開かれたり。集いの名は「王司徒の六十の生誕」にてあった。実(じつ)はその日は、王允の生誕にあらざりき。ただ、董卓の耳を避けんが為(ため)に、王允が「生誕」という名を借りて、戸の上に掛け置きおったのである。
その生誕の席に、洛陽の旧き忠臣十数名が集(つど)いたり。客間の灯火(ともしび)の下にて、杯が二度回りたり。三度目の回り行く前に、王允の顔が深く下のほうへと落ちたり。肩が震え、袖の端が顔を覆いたり。その袖の内側より、一人の泣き声が、ゆるりと流れ出(い)でつつあった。
「今日はこの老(お)いの生誕にあらず。董太師(とうたいし)の耳を避け、諸君の席を借りん為に、この顔を借りたるなり。漢(かん)の社稷(しゃしょく)が今宵にても傾きゆくに、この席の誰も、ひと言を取り出し得ざり申す。」
その時、客間のひと隅の席より、誰人(たれびと)かが短く大きく笑みたり。
「朝廷の宰相(さいしょう)方が皆な集(つど)い座(ましま)して、夜どおし泣き、暁(あかつき)に至りてまた泣き、昼に至りてまた泣き給う、その涙のみにて、董太師の頸(くび)を絞めて死せしめ得申すか。」
全(すべ)ての首がその声のほうへと回りたり。その笑みの主は、若き将校にてあった。顔(かんばせ)が黒みを帯び、目元(めもと)に疲労が降り立ちおったのである。名は曹操(そうそう)、字(あざな)は孟徳(もうとく)、年三十五。今宵の官は、驍騎校尉(ぎょうきこうい)にてあった。
王允が席より、突き上ぐるごとくに立ち上がりたり。「曹孟徳(そうもうとく)。汝の祖先もまた、漢室(かんしつ)の禄(ろく)を食(は)み来たりたる人にあらずや。さような汝が今日この席にて、忠臣らの涙を嘲(あざけ)るるか。」
曹操が腰を屈(かが)めたり。「司徒大人(しとたいじん)。それがし、諸君の涙をひと度も嘲りたる事無し。ただ、泣くひと事のみにては、董卓の頸の上に座(ましま)しおる塵ひと結すらも、落とし得ざる事実を、声に出だして申し上げたるのみにござる。それがし不肖(ふしょう)の者にござれども、今宵この席にて、ひと言を差し上ぐる事能(あた)い申す。それがしの手の内側に、董卓の頭(こうべ)を持ち上げ得る自信あり。」
王允の眼が細く成りたり。曹操を己が傍らの席に呼びたり。
「孟徳。汝の志、真(まこと)にしかあらば、ひと品(しな)を汝に暫(しば)し預(あず)け置かん。」
王允が腰のほうより、ひと振の短き刀を解き出(い)でたり。鞘(さや)が、甚(はなは)だ古き黒革(くろがわ)にて覆われおった。鞘を解けば、一尺余りの短刀(たんとう)が姿を顕(あらわ)したり。刃の面に、七つの星が嵌(は)め込まれおったのである。金と玉と真珠の粉(こ)にて、北斗七星(ほくとしちせい)の形が刃の上に刻まれおったのである。古しといえども、刃の光が、昨日研ぎたるごとくに青く立ちおった。
「この刀は、我が家門が永らく蔵(おさ)め来たれる 七星宝刀(しちせいほうとう)と申す短刀なり。明けたる朝、汝がこの刀を懐に収めて、相府(しょうふ)に入り行かば、その内にて、汝の刀が汝の志を直(じか)に斬り落とす機が、甚(はなは)だ短き一息の間(はざま)に、開(あ)くるかも知れぬ。」
曹操がその刀を、両手にて受け取りたり。指先が、七つの星の上にて軽く震えたり。されど、その震えは恐れにあらざりき。永く内側に隠(かく)し置きおりたる決心が、今日初めて、指先のほうへと浮かび出(い)でたるが故の震えにてあった。
その夜、曹操が七星宝刀を懐の内側にしずかに隠し置き、低き声にて独り口ずさみたり。「死すとも、恨み無し。」

明けたる日の朝、曹操が馬を引きて、相府の門の前に立ちたり。後ろ頸(くび)に冷えたる汗が流れたれども、歩みは平常の如しき。門番が軽く首を垂れたり、曹操もまた軽く首を垂れて呉(く)れたり。腰の内側にて、七つの星がしずかに身じろぎたり。その身じろぎは、門番の眼に、見えざりき。
客間の内にて、董卓が己が寝床(ねどこ)の上に半(なか)ば寄り掛かりて座しおった。傍らに、呂布が戟(げき)を立て置きて立ちおりたり。「孟徳。今日は何故(なにゆえ)にかかる遅参(ちさん)なるか。」「それがしの馬が痩せ衰(おとろ)えて、今朝の路を、永く引き来たり申せる故にござる。」董卓が首をめぐらして、呂布に使(つか)いを命じたり。「奉先(ほうせん)。西涼より上り来たれる良馬(りょうば)あり。一匹を撰(えら)びて、孟徳に下しやれ。」
呂布が客間を出(い)でたり。曹操の手が、懐の内側へと滑り入りたり。七つの星の柄(つか)が、手のひらの内側へと、しずかに入り来たった。
まさにその刹那、董卓が寝床の枕元の銅鏡(どうきょう)の内側より、曹操の手の動きを読みたり。首をめぐらしたり。「孟徳。何を為さんと致すか。」
曹操の手が、ひと刹那、止まりたり。されど、次なる息にて、再び動きたり。刀を逆さに持ち、両手にて董卓の前に捧(ささ)げたり。
「主公。それがしが七星宝刀を得てより、数日が過ぎおり申す。宝刀の主は、天下の丞相(じょうしょう)と為らるるが、穏当(おんとう)にて。今朝、このひと振の刀を、主公に献(けん)じ奉り申さん。」
董卓が刀を受けて、七つの星を覗き見つつ、わずかに笑みたり。曹操が頭を深く垂れたり。「敢(あ)えて主公にお礼申し上げて、退(しりぞ)き申さん。」戸の外にて、呂布が西涼の良馬一匹を引き来たる音が聞こえたり。曹操がその馬を受けて、鞍(くら)に乗りたり。「それがしの馬が痩せたれば、主公のこの馬を試(ため)してみて、戻り申さん。」
曹操が馬の手綱を、引き寄せたり。馬の蹄(ひづめ)が、相府の石床(いしどこ)の上にて、軽く跳ね上がりたり。相府の大門が、後ろにて閉ざされたり。そのひと度の閉ざしが、今朝の曹操のひと生の方向を、東より西へと、回したのである。
Book 1 の十六度目の朝が、王允の客間と相府の大門との二席にて、しずかに噛み合いつつあった。献刀計(けんとうけい、短刀を献ずるの計)の三字が、突きが献ずるに回されたるひと息の種子(たねつぶ)として、植えつけられつつあったのである。Day 15 の二易父(にえきふ)の口の内の文字が、今朝、短刀の柄の上の七つの星へと、移り来たりおったのである。
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“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
突きの前のほうにて、銅鏡の煌(きら)めきが、手の動きを先(ま)ず読み取る朝があり申す。ひと息の内側にて、突きが献ずるへと回らるる姿勢にござる。今朝、貴方の手の席にも、突きより献ずるへと、ひと息に回さるる方向が、もしやおありにならぬか。その回りの結を、ひと結いっそうしずかに覗き見られてはいかがであろう。
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