[Day 51] 灰の塊の洛陽
二月 · 主なき刀 | 約三分の読み

献帝(けんてい)が洛陽の灰の塊の上に到達したる翌(あく)る日の朝、曹操(そうそう)の使(つかい)が、灰の塊の上の臨時行宮(こうきゅう)の前に、到達したり。
使の手には、ひと通の表文(ひょうぶん)が、握られおったのである。曹操が申すに、「陛下(へいか)の御車(おくるま)が灰の塊の上に置かれ給う事は、天下の大いなる悲しみにござる。臣(しん)が許昌(きょしょう)に行宮を整え置きおり申せば、陛下の御車を、許昌へと、お迎え申し上げんと存ずるなり。」この表文が、楊奉(ようほう)と韓暹(かんせん)の耳にも、渡り行きたり。二人の顔(かんばせ)が、堅く成りたり。
その夕、楊奉が、韓暹に、ひと言を、低く、上りたり。「曹操が、今朝、陛下の御車を、許昌へと移さんと致す。我ら、この席の功(こう)を、曹操ひと人に、奪われ得申さず。今宵、御車の前に、我が軍を、立て、曹操の使を、先(ま)ず、挫(くじ)き申そう。」韓暹が首肯したり。
その夜、二人の軍が、灰の塊の上の行宮の前に、旗を、立てたり。曹操の先鋒・夏侯惇(かこうとん)と曹洪(そうこう)とが、後ろより、到達しおったのである。夏侯惇が、前へと出(い)でて、大いに、叫びたり。「御車の前に、槍を立てたる者は、陛下の敵なり。お退(しりぞ)き給え。」楊奉と韓暹とが、大いに怒りて、向き合いたり。
夏侯惇の双槍が、楊奉の副将・徐晃(じょこう)の鉞斧(えつぷ)と、向き合いたり。数合(すうごう)の進む前に、徐晃が、馬の頭を、回して、退きたり。夏侯惇が、追わざりて、馬を、止めたり。徐晃の振り返りの結が、奇異(きい)にてあった。夏侯惇が、その回りの結を、永らく、望み見たり。
その日の夜、深く更(ふ)け行きおりたる頃、徐晃が、己が陣営より、しずかに、抜(ぬ)け出(い)でて、曹操の陣営へと、渡り行きたり。曹操に礼を、上りたり。「それがし、河東(かとう)楊県(ようけん)の人にて、姓は徐(じょ)、名は晃(こう)、字(あざな)は公明(こうめい)にござる。今宵、楊奉陣営の結を、外より、読み給いたる後、この公明の歩みが、こちらへと、渡り来たりたり。主公の麾下(きか)に、お受け給え。」
曹操が大いに喜びたり。徐晃が、曹操の五大将(ごだいしょう)のひと人と、為(な)る最初の歩みが、今宵、灰の塊の上にて、置かれおったのである。

明けたる日の朝、楊奉と韓暹とが、徐晃の離脱を、知りたり。二人の気が、挫けたり。曹操が、献帝の前に進み出(い)でて、膝を、屈(くっ)したり。
「陛下。洛陽の灰の塊の上には、宮(みや)が、未だ、立ち得ずして、ひと食の飯すらも、真(まこと)に、上り得ざるに、ござる。臣(しん)が、許昌の行宮を、整え置きおり申せば、陛下の御車を、その処へと、お迎え奉らんと存ずる。その処の倉に、糧が、ひと年分以上に、足り、宮の屋根が、まったく、覆われおり申す。」
献帝が、永く沈黙したる後、首をゆるりと、首肯したり。その首肯の内側に、ひと自覚が、しずかに、埋(う)められおったのである。帝(みかど)の御車が、ひと人の宮の屋根の下へと、移り行く息にてあった。
数日(すうじつ)の後、献帝の御車が、洛陽の灰の塊を、離れて、許昌のほうへと、動き始めたり。御車の輪が、灰の塊の上を、最後に、踏みて、過ぎ行きたり。その後ろに、曹操の軽騎(けいき)が、随(つ)き従い、楊奉と韓暹の軍が、遅れて、追いて来たれども、曹操の伏兵に、大いに、挫かれたり。
Book 2 の五十一度目の朝が、灰の塊の縁(へり)の上にて、しずかに、開かれたり。灰都遷(かいとせん、灰の塊の都の遷(うつ)し)の三字が、御車が、灰の塊を、離れて、新たなる宮の屋根の下へと、移り行く息の種子として、植えつけられつつあったのである。Day 50 の 五十焰(ごじゅうえん)の頂が、今朝、御車の輪の方向へと、降り立ちおったのである。
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“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
御車の輪が、灰の塊を、最後に、踏み過ぎて、新たなる宮の屋根の下へと、移り行く朝があり申す。帝が、ひと人の屋根の下に、置かるる事と為る息の自覚が、ゆるりと、その顔(かんばせ)を、現わす席にござる。今朝、貴方の席の輪の上にも、屋根の移しが、もしやおありにならぬか。その移しの結を、ひと結いっそうしずかに、覗き見られてはいかがであろう。
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