[Day 60] 寿春の冕旒冠(Book 2 フィナーレ)
三月 · 天下の二人 | 約三分の読み

Book 2 の六十番目の朝が、寿春(じゅしゅん)の壇(だん)の上にて、冷たく、開かれおりつつあった。
寿春の城内の中心(ちゅうしん)に、壇が、高く、立てられたり。壇の九段(きゅうだん)の階(きざはし)が、ひと色(いろ)にて、連(つら)なりおったのである。壇の真ん中に、座(ざ)が、置かれ、その座の上に、冕旒冠(べんりゅうかん)が、載せられおったのである。冕旒冠の前後に、十二筋の玉佩(ぎょくはい)が、垂れおったのである。袁術(えんじゅつ)が、ひと歩み、ひと歩みに、壇の階を、上り行きたり。
袁術が、壇の座に、座(ざ)したり。冕旒冠が、彼の頭の上に、載せられたり。彼の手の内側に、ひと欠片(かけら)の玉璽(ぎょくじ)が、握られおったのである。孫策が、父の遺物を、担保として、預け置きたる、その玉璽が、今朝、僭称の手の内側に、載せられおったのである。袁術が、大いなる声にて、詔書を、読みたり。「漢(かん)の天が、暮れて、仲家(ちゅうか)の天が、開く。」壇の下の百官が、低く、頭(こうべ)を、垂れたり。幾人かの首は、わずかに、揺れおりたのである。
その朝の報が、許都(きょと)の曹操(そうそう)の耳元に、達したり。曹操が、荀彧(じゅんいく)・郭嘉(かくか)・程昱(ていいく)・荀攸(じゅんゆう)の四謀士を、ひと席に、呼びたり。曹操が、低く、申したり。「今朝、寿春の壇の上に、僭称の冠が、載せられたり。天子の名を、有(ゆう)するこの席にて、僭称の冠を、地の上に、お置き給わしむる事が、我が最も速き功(こう)と、為(な)り申さん。」詔書が、書かれたり。許都の玉璽が、詔書の上に、押されたり。
詔書のひと行が、徐州の劉備(りゅうび)に、別なるひと行が、江東の孫策(そんさく)に、また別なるひと行が、徐州の呂布(りょふ)のもとへと、下り行きたり。各々のひと行が、同じ方向を、指し示しおったのである。寿春にてあった。
江東の孫策が、詔書を、奉じたる後、低く、笑みたり。「父の玉璽が、今朝、僭称の冠の下に、置かれたり。その玉璽を、戻し求めに、行く路が、今日、漢の詔書と、ひと方向に、為(な)りたり。」周瑜(しゅうゆ)が低く、続けたり。「兄上。今日より、江東の全(すべ)ての刀が、寿春のほうへと、方向を、お取り給わん。」張昭(ちょうしょう)と張紘(ちょうこう)とが頭を、垂れたり。太史慈(たいしじ)が、ひと振の弓を、上り掲(かか)げたり。

徐州の劉備が、詔書を、奉じたる後、関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)の前にて、低く、申したり。「今日、徐州の刀が、寿春のほうへと、向かい申す。関羽の弟よ、張飛の弟よ、漢の臣の刀が、僭称の冠を、地の上に、置かしむるよう、共に、行かん。」関羽が、青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を、ひと掴(つか)み、握りたり。張飛が、丈八蛇矛(じょうはちじゃぼう)を、上り上げたり。
徐州の呂布が、詔書を、奉じたる後、低く、笑みたり。「轅門のひと矢が、ひと戦を、鎮め置きたるに、今度は、許都の詔書が、ひと冠を、地の上に、お置き給わしめんと致す。今日、徐州の刀もまた、寿春のほうへと、方向を、取り申さん。」陳宮(ちんきゅう)が、頭を、低く、垂れたり。
天下の四方向にて、刀が、寿春のほうへと、集(つど)い始めたり。北には、許都曹操の本軍、南には、江東孫策の水軍、東には、徐州劉備の刀と、呂布の方天画戟(ほうてんがげき)。寿春の壇の上に、載せられたる僭称の冠が、今朝、四方向の刀の交差点(こうさてん)の上に、置かれおったのである。
寿春の壇の上にて、袁術が、長き息を、呑み込みたり。冕旒冠の玉佩の十二筋が、彼の顔(かんばせ)の上にて、低く、揺れたり。玉佩の筋の間より、彼の眼が、遥(はる)かなる北の天を、望み見たり。その天の下にて、許都の詔書の筋が、すでに、動きおったのである。
Book 2 の六十番目の朝が、寿春の壇の上にて、しずかに、開かれゆきおったのである。僭冠落(せんかんらく、僭称の冠が地の上に降り落つ)の三字が、ひと欠片の玉璽と、冕旒冠の十二筋の玉佩と、四方向の刀の交差点とが、ひと席に、置かれたるひと息の種子として、植えつけられつつあったのである。Day 31 の 月下女(げっかじょ)の紐(ひも)より、Day 59 の 僭号夢(せんごうむ)の最初の染みまで、Book 2 の二十九の夜が、今朝、僭称の冠の下に、共に、置かれおったのである。
Book 2 の最後の朝が、寿春の壇の下にて、しずかに、幕(まく)を、引きおりたのである。Book 3 の最初の刀が、僭称の冠を、地の上に、お置き給わしむるよう、東西南北の四方向より、寿春のほうへと、動きおりたのである。
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“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
ひと人の頭の上に、冕旒冠が、載せられゆく朝があり申す。その冠の重みが、その人の頸(くび)を、支(ささ)え得ざらば、その冠は、地の上に、降り落つる事と、為(な)る席にござる。今日、貴方の頭の上にも、あまりに早く、載せられたる冠が、もしや、置かれおりてはおらぬか。その載りの結と、降り落ちの予感を、ひと結いっそうしずかに、覗き見られてはいかがであろう。 Book 2 の六十番目の朝が、今日、僭称の冠の下にて、しずかに、幕を引き申す。Day 31 の 月下女 の紐が、Day 60 の僭称の冠の重みへと、連なりおりたる事を、今朝の壇の下にて、しずかに、お収め取り給え。
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