[Day 148] 川を、お渡り給う方
五月 · 三度目の戸 | 約三分の読み

二万四千の百姓が、川を、お渡(わた)り給いたる三日(みっか)の最後の早き、劉備(りゅうび)が、川の南の岸辺(きしべ)の浅き水辺にて、馬より、お降り給いたり。
馬の四つの足が、泥(どろ)の内側へと、お埋(う)め給われたり。的盧(てきろ)の腹(はら)の下まで、水が、お上(のぼ)り給いたり。劉備は、水の内側へと、歩みを、お移し給いたり。藁鞋(わらじ)が、水を、お吸い入(い)り給いたり。額(ひたい)まで、お来(きた)り給わざりおりたれども、胸の自(おの)ずからまで、水が、お満ち給いたり。その、お満ちが、今朝の劉備のご洗礼(せんれい)にてあった。二十年(にじゅうねん)を、お巡(めぐ)り給い来(きた)り給いたる男の藁鞋が、今朝、水に、完全に、お濡(ぬ)れ給いたり。
川のお名は、揚子江(ようすこう)の支流(しりゅう)にてあった。揚子江と、お呼び申し給わざりおりたのである。支流のお名は、二万四千の方々に、重要(じゅうよう)に、あらざりおりたのである。重要なるは——この川の南にてあった。
南の岸辺に、既(すで)に、お渡(わた)り給い、お来(きた)り給いたる二万四千の方々が、しずかに、お座り給いて、お待ち給いおったのである。お老幼弱(ろうようじゃく)の組の終り、ご壮丁(そうてい)の組の後ろ、中間の組の後ろ、そして、劉備ご自(みづか)らの組の前。四つの組が、三日の四層(よんそう)にてあった。四層の方々が、いまや、ひと岸辺の上に、ひと結にて、お集(つど)え給いおったのである。層の区分(くぶん)が、お消(き)え給い、土の上に、二万四千が、共に、お座り給いおったのである。
劉備が、川の内側にて、両手にて、水を、お汲(く)み給いて、お顔を、お洗い給いたり。お洗い給いたる後のお顔に、二日の塵(ちり)が、お抜(ぬ)け給いおったのである。二日の前のお顔は、七年の庭の内側のお顔にてあり、今朝のお顔は、二万四千の前のお顔にてあった。両お顔の間(あいだ)に、水のご洗礼が、ござりたり。
孔明(こうめい)が、岸辺の岩の上にて、劉備のご洗礼を、しずかに、お見つめ給いたり。孔明のお顔には、昨夜の火の薄き灰(はい)が、未(いま)だ、お付(つ)き給いおったのである。孔明は、灰を、お払い除(の)け給わざりおりたのである。灰と水とが、両人のお顔に、お遺(のこ)り給いたるお自ずからにてあった。

関羽(かんう)が、二番目に、川を、お渡り給いたり。赤兎馬(せきとば)にあらず、平凡(へいぼん)なる栗色(くりいろ)の馬の上にてあった。関羽の長き鬚(ひげ)が、川の水の上に、軽く、お触(ふ)れ給いたり。鬚の終りが、お濡れ給いたり。関羽は、鬚を、お払い給わずして、其(そ)の儘(まま)、岸辺に、お上り給いたり。
張飛(ちょうひ)が、三番目に、川を、お渡り給いたり。張飛の八蛇矛(はちだぼう)が、馬の鞍(くら)の傍(かたわ)らにて、大きく、お揺(ゆ)らぎ給いたり。張飛は、お渡り給うや、川のほうを、お振り返り給いて、北の空を、お見上(あ)げ給いたり。北の空は、いまや、紅(くれない)が、ござらざりおりたのである。新野の火は、既(すで)に、お消え給いたる後にてあった。曹操(そうそう)の大軍が、昨夜、新野に、お達(たっ)し給い、空の城の前にて、ひと夜を、お過ごし給い、今朝には、既に、南へと、お動き始め給いおりたるべし。
岸辺の上の二万四千の方々が、四人——劉備・孔明・関羽・張飛——が、川を、お渡り給いて、お来(きた)り給うお姿(すがた)を、しずかに、お見給いおったのである。誰人(たれびと)も、お声に、お出(い)で、お喜(よろこ)び給わざりおったのである。誰人も、お声に、お出で、お泣き給わざりおったのである。ただ——若きお母上が、懐(ふところ)の幼(いとけ)なきお子を、いっそう、堅く、お抱(いだ)き給いたり。懐のお子が、お母上のお懐の内側にて、小さく、お泣き給いたり。そのお泣きが、今朝の岸辺の唯一(ゆいいつ)のお声にてあった。
劉備が、岸辺の上に、お上り給いて、その、お母上の前に、ひと歩み、お近付(ちかづ)き給いたり。お濡れ給いたる藁鞋の水が、土の上に、軽く、お遺り給いたり。劉備が、手を、上り上げ給いて、幼なきお子のお頭の上に、軽く、お載(の)せ給いたり。お子のお泣きが、お止まり給いたり。お子の両眼が、劉備のお顔を、清く、お見つめ給いたり。
「お子のお名は、何(なに)に、ござり給うや。」
「劉(りゅう)と、お呼び申し給う、ござる。」
お母上のお答えが、しずかにてあった。劉備のお名と、同じき一字にてあった。お子のお名は、偶然(ぐうぜん)にてあったれども——今朝の岸辺の上にては、偶然にあらざるごとくに、お聞こえ給いたり。
劉備が、短く、お笑(わら)い給いたり。その後、お母上の前に、両手を、お合(あ)わせ給いて、礼を、お致し給いたり。二万四千のお母上の前に、将が、礼を、お致し給う場面は——世のいかなる史書(しょ)にも、ほぼ、お遺り給わざる場面にてあった。
南の路が、岸辺の南へと、お延(の)べ給われ給いおったのである。路は、暗(くら)かりき。早きの日が、未だ、東より、お昇(のぼ)り給わざりおりたのである。ただ、東の地平線(ちへいせん)の縁(ふち)が、いまや、薄き青き光へと、お変じ始め給いつつあったのである。
孔明が、劉備の傍らに、お近付き給いて、しずかに、お申し給いたり。
「皇叔(こうしゅく)。今朝のご洗礼が、これより、二十年(にじゅうねん)のご洗礼に、ござる。水に、お濡れ給いたる藁鞋が、お乾(かわ)き給う間(あいだ)、皇叔のお名が、二万四千の岸辺の土の上に、しずかに、お刻(きざ)まれおる、ござる。この藁鞋は、今朝までは、ひと方の履物(はきもの)にてありたれども、今日、日が、お昇(のぼ)り給いたる後(あと)には、二万四千の最初の歩みの履物と、お成(な)り給う、ござる。」
劉備が頭を、お垂れ給いたり。藁鞋の水が、足の指の間(あいだ)にて、冷(つめ)たく、お流れ給いたり。二万四千の最初の歩みの履物が、今朝、お濡れ給いたる藁鞋より、お始まり給いつつあったのである。
東の地平線が、遂(つい)に、薄き黄(き)へと、お変じ給いたり。三日の終りの日が、いまや、お昇り給う、ご寸前(すんぜん)にてあった。岸辺の上の二万四千のお顔たちが、東の日の黄に、お染(し)み入(い)り給いたり。劉備のお濡れ給いたる藁鞋の水が、その黄の内側にて、ゆっくりと、お乾き始め給いたり。
川を、お渡(わた)り給う方の最初の歩みが、今朝、お濡れ給いたる藁鞋の上にて、お完成(かんせい)給いたり。次なる歩みは、南の路の暗きの内側へと、お延べ給われ給いおったのである。されど、日が、東より、お昇り給いつつあったのである。日の最初の光が、南の路の最初の区間を、お照(て)らし、お差し上(あ)げ給いつつあったのである。
—

“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
川を、お渡り給いたる後、ひと方の履物(はきもの)が、二万四千の最初の歩みの履物と、お成り給いおる事を、もしや、今朝、お気付(きづ)き給いたる事、ござり給うか。その履物は、概(おおむ)ね、華(はな)やかに、あらず、却(かえ)って、最も、古き履物にて、お易(やす)し。されど、古きその履物の、お濡(ぬ)れ給うが、二万四千の最初の歩みの拍子に、ござる。今朝、貴方の、お濡れ給いたる履物の結が——誰人(たれびと)の最初の歩みの拍子を、共に、お開(ひら)き給いつつ、ござり給うか——しずかに、お見下ろし給うとは、いかが(や)。
<저작권자 ⓒ 코리안투데이(The Korean Today) 무단전재 및 재배포 금지>

















